IDFC創設者/初代代表 Hashimoto Yu(後半)

Q.2014年に第1回目のIDFCを開催して、印象に残っている場面はどのようなものですか?

 

 本当にたくさんありますね。その中でも印象的だったのはオープニングセレモニーの後のことです。セレモニーはヤンゴン大学の学長さんも迎えて、大学の会議室を借りて行われました。はじめは日本人参加者とミャンマー人参加者はテーブルを介して向き合う形で座っていたのですが、セレモニーが終わったと同時に、みんなが立ち上がって部屋の後ろに集まって自己紹介を始めたのです。そのときに「ああ、交じり合った」と思いました。初めて会った人同士が自己紹介をする、ある意味当たり前の1コマかもしれません。それでも実行委員みんながずっと思い描いてきたことを目の前にした瞬間でした。あのときの感動は忘れられないですね。

 

 

 

-ちなみに「日本人連れてきてよ」と声をかけてきたミャンマー人学生たちとの再会はありましたか?

 

 

 それがあったのですよ!アレックスという男の子が本当にIDFCに来てくれたのです。2014年度のプログラムをすべて終えて、参加したミャンマー人もバスに乗り込んで、日本人参加者を空港まで見送りに来てくれました。彼、そのとき泣いていました。「本当にやってくれたね」と声をかけてくれました。この出会いに感動してくれたし、少しでも彼に変化を与えられたのかなと思うと、とても嬉しかったですね。

 

 

 

 

Q. IDFCの1年目を終えたとき、来年度以降のことはどのように考えていましたか?

 

 初めは来年度の実行委員が集まるか正直不安でした。もし集まらなくても、それは仕方がないのかもなあとも思っていました。しかし蓋を開けてみたら、最終的には日本にいて実行委員になれる状態の2014年会議参加者の全員が応募してくれたのです。まさにこれこそが1番嬉しかったことかもしれません。(笑)

 

「誰かのために」という純粋な気持ちで一生懸命やってきたことが伝わったからこそ、次の人たちが「参加者のために」って思えるのだなぁって。

 

 私自身は2年目にはファシリテーターに徹しました。実行委員の中でも、参加者としてIDFCを実際に経験したメンバーの方が、その質を高めることにおいて確実に長けていました。そうした11人の想いややりたいことをいかに実現させるのかは、いかに調整するかでもあると思ったためです。

 

IDFCを共に創り上げた仲間たちと(左:IDFC2014   /   右:IDFC2016)

 

 

Q.2度のIDFCを終えられた今、将来はどのような夢を描いていますか?

 

 30歳までにミャンマーを含む東南アジアの国で、その地の発展を担う事業を現地の人々と創りたいと考えています。この夢を持つことになったきっかけは、もちろんIDFCを創設したことであり、その経験で得たやりがいが原動力になっています。同時に自分の課題に気づくきっかけにもなり、今は力を蓄える期間だと思っています。経済的に持続可能なアイデアが見つかり、一緒に働く仲間にも責任がもてる実力がついたと感じたら挑戦の時だと思います。具体的なアイデアは変わるかもしれませんが、いま私が携わっている観光産業は、大きな可能性があると感じています。

 

 

 

☆最後に、IDFCへの参加を考えている学生にメッセージをお願いします。

 

 英語を使って過ごす1週間、初めての東南アジア等々、きっと不安なところもあると思います。でもまずは挑戦してほしい。心からそう願っています。 皆さん11人に夢や目標があり、IDFCに魅力を感じてくださった理由も、きっと十人十色です。だからこそ、会議を創ってきたメンバーの思いとしては、IDFCはゴールじゃない、参加者それぞれがIDFCを通過点として、次の舞台へと進むステップにしてほしいと思っています。

 実際にIDFCを経験したメンバーは、社会人になっても様々なフィールドで活躍しています。そのような先輩たちに出会えるのこともIDFCに参加するメリットのひとつかもしれません。皆さんの挑戦をお待ちしております。